構成学とは?
構成学というと、なんだか身近なものから離れ、難しそうな感じに思われます。
内容としては、色の三要素、色彩対比、配色や単純な幾何学的形体を使ったリズムやコンポジションの実習など。
こう言われると美術の授業で受けたことを覚えている人もいると思います。
そもそも「構成」の名称はドイツ語のゲシュタルト、あるいは英語のコントラクションの日本語約です。
構成学の理念は1919年にドイツのワイマールで開講した造形学校、「バウハウス」で体系化されました。
バウハウスが設立された背景
人間は古代から美しい形やプロポーション(比率)に憧れ、造形における調和の美を求めてきました。西欧では黄金分割やシンメトリーが建築や装飾などさまざまな生活空間に多様され、美の原理として受け継がれてきました。
日本でも住まいの間取り、畳、障子の等量分割や、紋様パターンのシンメトリー、茶室の否定形の不条理な形、茶碗のひび割れや墨流しの偶発的に生じるパターン。ただ、これらは代々伝えられてきており、いわば職人の手によって受け継がれてきたものであります。
これまで職人の手作りであった製品が、産業革命によって大量生産となり、企業家たちは生産性を高め、利潤を上げるために機械の機能にあわせた商品をつくり、消費者である使い手の都合が無視されてきました。
人間により引き継いできたこの生産システムが断ち切られ、模倣的で無味な形や安っぽい装飾などの粗悪なものばかりで、快適な生活を送るためのものではありませんでした。
ここに人間が意識的に形をつくりだすという必要性が生じてきます。
アーツ・アンド・クラフツ運動などで機械化へ撲滅さえ唱えた運動もありましたが、近代工業化の時代に逆らい、正当性は欠いていました。
また、アールヌーボー様式(植物的な曲線、流れる水や植物の茎のしなやかさ)なども派生したが、表面的な装飾にこだわるあまり、造形の形から遊離してしまった経緯もあります。
そうした中、ヘルマン・ムテジウスは1907年にDWB(ドイツ工作連盟)を結成し、機械生産による製品の質と視覚的な美しさの向上を図り、アーツ・アンド・イダストリー運動を掲げ、現実としての工業化社会を受け止め、積極的に機械生産による製品の機能と造形美を統合させる自立を目指しました。
ただ、このデザイン設計手法はあくまで彼らの美意識や直感的能力により支えられてきたこともあり、ムテジウスは機械生産のためのすぐれたデザイナーを育成するのに、造形美をつくる様々な要素とこれを統合する美の基準の学問体系化、教育機関の設立の必要性を痛感しました。
1919年第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国が崩壊したあと、ベルサイユ条約によりワイマール共和国が成立し、その国立工芸デザインとして創立されたのがバウハウスです。
初代学長はDWBのメンバーであったワルター・グロピウス。
バウハウスの教育内容
バウハウスの教育野中の造形美とは、造形 色、形、材料のそれぞれの特性を知ることで造形の可能性を探ること。
装飾様式や伝統的な具体主義美術における権威的崇拝の否定でもあります。
また、バウハウスの教育は、ロシア構成学がベースとなっています。
構成主義とは、描写という写実主義やアールヌーボーとの決別。造形の形や色を純粋に抽出し、新しい表現の獲得をするものです。
体系や色彩の知識が必要であり造形要素の掘り下げによって美の原理は定量的なものとなる。
さらに、バウハウスでの教育は、造形の原理としての形や色彩に加えて、さまざまな材料体験とテクスチャの実習が行われ、これに新しい色材として光や、当時の最先端テクノロジーとして写真による映像実験なども行われました。
バウハウスはこれらを教育システムとして、はじめてカリキュラム化した学校です。
デザイン設計とは、造形美を作る要素の重要性を説いたものであり、デザイン概念の中に、プロポーション、シンメトリーなど造形の数理性やバランス・統一感などを体系的に取り入れたものであります。
さいごに
自称デザイナーの方とお話をすると、“ユーザビリティを考慮してデザインしています”とか、“お客様の視点に立ってデザインしています”という声はたくさん聞くのですが、では、それはどうやって実現しているのか? という点において語ってくれる人は少ないです。
患者のことを考えて手術します! ってのと同じで、手術の前に医学を学びなさいと。この医学に当たる部分をきちんと体系的に勉強していますって人がなかなかいないのが現状です。
エンジニアはWebサービスを実装するために、言語や様々なプログラムミング手法を体系的に勉強しています。デザイナーも同じです。
色を選ぶのは“勘”ではなく、知識です。レイアウトもタイポグラフィも同じです。
お絵かきをして見栄えを整えるだけのデザイナーやツールが使えるからデザイナーというのは前時代的な考えだと思います。
バウハウスの教育理念はあらためて必要なものだと感じます。